【有田圭一 】「初心」こそすべて

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スポーツとの出会い

父親は学生時代にバレーボールやスキー、母親はテニスをしていたと聞いていました。

またマラソン大会などでは負けたことがない、などの話を聞いていたためか私は幼少の頃より屋外で遊ぶことに抵抗がなく、

毎日夕暮れまで遊んでは母親が心配して「もう帰りなさい」と声をかけに来る日々を過ごしました。

小学校教員であった父親が教員ソフトボール大会でホームランを打つのを見て感動したり、

父方の祖父は野球選手で沢村投手と投げ合ったなどを聞かされていたこともあり、

その頃いつも遊んでもらっていた近所のお兄ちゃんから少年野球チームに入らないかと誘ってくれたことがきっかけで少年野球を始めました。

「痛い」は嫌

小学校2年生の頃の私の体は小さかったためか、父親は茶色の小さめのグローブを買ってくれました。

私のはめ方が悪かったのか、そのグローブは指先を伸ばしてはめることができない癖がついてしまい、中指、薬指、小指は曲げたままの状態でボールをとっていました。

中央のネットの部分でキャッチすれば痛みませんが、当然、ボールが指などに当たると痛みます。

そういう指の状態が不自然であることも知らなかったため、ボールをキャッチする度に痛みを伴う野球が徐々に嫌いになっていきました。

 

野球を始めたばかりの自分はただ技術が未熟だと思っていたため、新しいグローブを買ってもらうという発想もなく、

また周りの人のグローブをはめさせてと言う勇気もなく、ひたすら痛みを我慢して野球を続けていました。

その頃は同時にピアノの習い事にも通っていたため、突き指でレッスンを休むことが多くなっていました。

突き指の原因はグローブではないかと親に話したところ、すぐに小学校で余っていたやや大きめの緑のグローブを持ってきてくれました。

そのグローブに指を通した瞬間、「なんてすばらしいグローブなんだ!パーの状態でキャッチできるじゃないか!」と感動したことを覚えています。

お古でしたがとても大切に使いました。

 

それまでグローブのネット部分中央でキャッチしなければ手が痛むという経験を重ねてきたためか、

新しいグローブでもボールを自然とネット中央でキャッチしていました。

うまくキャッチできると「スパーン!」といういい音が鳴りました。

この音がとても心地よくキャッチボールがとても楽しくなり野球がどんどん楽しくなっていきました。

コーチからはグローブの中央部分、手のひらの部分でキャッチし、右手でボールを抑えるように言われましたが

「そんなところで取ったら手のひらが痛いし、ええ音ならんやん。なんでそんなところでキャッチせなあかんの?」と疑問に思っていました。

今考えるとゴロなどの球はその方法の方がエラーが少ないこともわかるのですが、

キャッチングでいい音を鳴らしたいということと、手が痛いのが嫌だったので言われたことは最初だけしかやりませんでした。

「好き」が上達を早める

野球が好きになるにつれて、上達も早くなっていきました。小学校4年生の時にはまだ体が小さかったこともありましたが、難しいバウンドが来るといわれたセカンドのポジションを任されました。

「キャッチングが上手いからやってみなさい」と言われたときは本当にうれしかったです。

バッティングの方は、あの父親のように校舎を超えていくような大ホームランを打つほどパワーはまだありませんでしたが、

バットでボールをうまくミートした時の感覚が楽しくて練習を重ねました。4年生の時に出場した試合では1番バッターでセンター返しを打ちました。

試合後、プロ野球選手の講習会がありましたが、小学校5、6年生が対象だったため私は参加できませんでした。

後日、母親から「あのセンター返しを打った子はいないの?とプロ野球選手が言ってたみたいよ」と聞いた時にはうれしくて、バッティングも上達していたんだなと思いました。

 

野球のキャッチングやバッティングはとても面白かったのですが、チーム自体はあまり強くなく、近隣チームにはあまり勝てませんでした。

私がヒットで出塁しても、残塁でチェンジになることが多く、またチーム名の「アウトローズ」を「アウトになるからアウトローズ♬」と野次られるのが悔しくて、徐々に野球に対する情熱が冷めていきました。

 

転校をきっかけに友人の誘いもあって野球からラグビーに変えました。体が小さかった私はハーフを任され、

何度か試合にも出場しましたが、このラグビーでは怪我が絶えず、また倒されると痛いので、野球の時の「痛いのは嫌だ」が心をよぎり2年でやめました。

バドミントンとの出会い

転校する少し前から両親は小学校の体育館でレクレーションバドミントンを始めており、私もついて行っているうちにラケットに触るようになりました。

そこで知り合った友人とともに当時全国大会常連校であった四條畷学園中学校へ入学しバドミントンを本格的に始めることなります。

入部当日、「打ってみて」上級生から言われてはいクリアを打ったところ、

すでに少し経験があったこともあり「スパーン!」と返すと「すごい!打てるやん!」と

全国大会に出場していた上級生から拍手で褒められたことがとても嬉しくて今度はこのスポーツで頑張ってみようと心に決めました。

「初心」を忘れる上達過程

私のバドミントンを始めるまでのストーリーから始めさせていただきましたが、私の中でのスポーツの醍醐味はやはり音や感覚でした。

うまくラケットにシャトルが当たった時の感触と「スパーン!」という音にすっかり魅了されてしまったのです。

今は指導者の立場でもありますが、上達すればするほど結果にこだわるようになる選手が多く、

バドミントンを始めた頃の純粋に楽めた音や感触などの感覚を忘れがちになっている状況をよく目にします。

選手に感覚的なことを聞くと答えられないことが多く、「狙いすぎてエラーした」という結果を早く得たいがための思考や、

「今のは取れていた」という事実を受け入れない逃避をよく答えます。

直感にフォーカス

狙ったショットがなぜ出せなかったのかは、うまくいった時とうまくいかなかった時のインパクト音や感覚などの違和感が教えてくれているのですが、

その意識が結果に向かっているとその瞬間の感覚は思い出すことができません。

たまたま結果がうまくいった場合は特に何がズレていたのか振り返ることが難しいのです。

私が選手によくいう言葉は「逆境に耐えられる人は多いけど順境に耐えられる人は少ない」ですが、これは人の欲をよく表していると思います。

「初心」こそすべて

スポーツなので皆、勝ちを目指しますが、プレー中には思考する時間はありません。ほとんど直感での勝負になります。

ですから、日頃から感覚を感じる体験を多く重ねて磨いておかなければなりません。

試合前のウォーミングアップでは特にシャトルを打つときのインパクト音や感覚には全力でフォーカスし、今日の違和感を体全体で修正していく必要があります。

自分の今までの技術に過信せず、その瞬間瞬間に修正を加えていける人は、やがて大きな成果を得られるでしょう。

■有田圭一



バドミントンの名門校として有名な、「東大阪大学柏原高校」バドミントン部元顧問 
バドミントン協会公認コーチ
短期間で、選手を劇的に成長させるその指導手腕が注目され、 これまで数多くのバドミントン雑誌で取材を受ける。
また、バドミントンの技術研究と、効果的な上達ノウハウの普及活動に余念がなく、 全国のバドミントンプレーヤーに人気のサイト、「バドミントンアカデミー」を運営。
選手としては、中学から大学在学中まで、バドミントンをプレーしており 個人戦で、継続的に全国ベスト16~32の成績を残した、優秀な選手でもあった。
シニア選手としても活躍し、全日本はもちろん、世界シニアにも出場している。

※著書
「強くなるドリルシリーズ 強豪校の「マル秘」練習法、教えます!ダブルス編」ベースボールマガジン社
「強くなるドリルシリーズ34 強豪高校おすすめの練習法&名将たちの指導論を大公開」ベースボールマガジン社

※DVD教材
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